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hatakichiです。
先日少々理由があって長野県の南にある駒ヶ根市に。折角来たのだからと付近の有名なお寺を探したところ、凄いお寺を見つけました。
”宝積山光前寺(ほうしゃくさんこうぜんじ)”です。
立派な”仁王門”がお出迎えしてくれます。

なんとこのお寺、”天台宗信濃五山(戸隠山顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)”の一つとの事です。こんな偶然有るんですね、っていうかhatakichi知りませんした。お恥ずかしい!!
開山されたのは860年、戸隠山顕光寺が849年といわれているので、ほぼ同年代という事になります。江戸時代には徳川幕府から朱印地60石を受けています。因みに戸隠山顕光寺は朱印地千石と桁違いです!
少し参道を進むと”三門(山門)”が現れます。

この参道の両側には”光苔”が生えているらしいです。現在は冬なので見れませんでしたが・・・。

そして、”本堂”が登場!重厚感があって素晴らしい建造物です。中には本尊の”不動明王”が鎮座されていました。
このお寺には面白い伝説がありました。”霊犬早太郎(はやたろう)伝説”です。


『今よりおよそ700年程前、光前寺に早太郎という大変強い山犬が飼われていました。その頃遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社で、毎年祭りの夜に一人の子女を神前に人身御御供として供える悲しい習わしが続けられておりました。このことを救わんと社僧一実坊弁存は、神仏に祈願して祭りの様子をさぐり、子女をさらう怪物が信州の早太郎を恐れていることを知りました。信州に尋ね入った弁存は、光前寺に早太郎をさがし当て早太郎の力によって怪物(老ヒヒ)は退治され、村の災難は除かれたのです。一実坊弁存はこの報恩のためい大般若経を書写し、天神社から光前寺に奉納されました。
以来、早太郎こそまさに不動明王に化身であり、災難除、厄除の霊犬なりとして広く信仰をあつめ、今なお見付より報恩の参拝が続けられております。』光前寺内説明板から引用。
本堂横には”霊犬早太郎の墓”もありました。
このお寺は”しだれ桜”でも有名なお寺で境内には70本が植えられていて古いものは樹齢200年になるものもあるそうです。”不動滝桜”や”鐘楼の古木”と名付けられた美しい桜を楽しめるそうです。見頃は4月中旬で夜はライトアップされるそうです。娘”Yukino”が縁あってこの近所の大学に入学する事になったので、入学式に立ち寄ってみようと思います。


今回偶然訪れたお寺が戸隠並びに長野市とこんなに関係しているお寺だったとは・・・。本当に驚きでした。”天台宗信濃五山”の三寺院を訪れたので、あと二寺院も訪れてみたいと思います。

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hatakichiです。
新型コロナウイルスの影響で生活スタイルが一新し始めていますね。こういう時に神頼みとする方も多いのではないでしょうか。”戸隠大神”も今年は多くの方からお願いされている事でしょう。
さて、世間ではこういう人間に災いをもたらす病魔や天災を予言したり疫病退散させる妖怪として”アマビエ”が注目を浴びていますね。

『肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)Photograph courtesy of the Main Library, Kyoto University - Amabieより借用。
この元祖は”アマビコ”という話も出てきて盛り上がっっています。
そんな中この”戸隠”にも昔から病魔や災い除けの象徴としてある聖獣の存在がありました。その名は”白澤(はくたく)”と言います。
先日”戸隠神社奥社”Guideの際、社務所に面白いモノが貼ってありました。

”神獣 白澤図(はくたくず)”です。思わず社員の方に「いつから?」と聞いてみると「8月3日からです。」との返事。ほー、旬な話題に乗っかっちゃいますか!
”白澤(はくたく)”とは、中国に伝わる聖獣です。人間の言葉を巧みに操り、万物に精通するといわれています。白澤の姿は資料によって様々で、獅子のような姿や、牛馬のような姿で描かれています。中国の史料では2眼の白澤が描かれいます。江戸時代の画家・鳥山石燕によって顔面に3眼、胴体の左右に3眼の合計9眼を持つ白澤が描かれて以降、額や胴体に目が描かれるようになったようです。
日本における”白澤図”は厄除や開運の御利益があると信じられていて、”旅行用心集”には "白澤図を懐に入れておけば善事は進み、悪事は退く。厄災・病難を逃れ、開運・昇進などの前兆がある。旅行中は特に尊んで信仰すると良い" と説明されています。安政のコレラ流行時には瓦版などで白澤図が出回ったともいわれています。まさに今年この新型コロナウイルスの為に世界中が厄災・病難を逃れているので、これに肖りたいと思うのも当然でしょう。

折角なので、hatakichiも1枚購入してきました。これで早く新型コロナウイルスが収束して、平穏な日常生活が送れる事を願うばかりです。
また、戸隠では”戸隠古道”を歩くと、この”白澤図”以外に”白澤”に会える場所があります!おっと、これはhatakichiにGuideをお願いして頂いた方にはお教えしますね!
ちょっと”白澤図”に関してもう少し深く知りたくなったので勉強しますね。また、面白い事が解ったらご報告します。

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4月15日(水)に戸隠神社の”中社大鳥居”が83年振りに解体されました。11月に新しい鳥居が登場する予定ですが国内には同じサイズを作る材料が無いらしく、カナダから来るとの事でした。それが漸く届きました。

小口には”戸隠神社中社 大鳥居柱 令和2年1月23日”と書いてあります。非常に綺麗で香りが凄いです。当店を建てている時にもこんな香りがした事を思い出しました。

また先日解体した際には観れなかったのですが、”柱の基礎”を観る事が出来ました。あれだけの大きなモノなのでしっかりとした基礎です。
建設経過を観る事が出来る事は非常に面白く、勉強になります。完成が楽しみです。

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hatakichiです。
本日より”小鳥の森”の”RESTAURANT”部門は”TAKE OUT PIZZ”を除いて5月6日まで営業自粛の要請を受けて臨時休業とさせて頂きます。皆んなで協力して見えない敵をやっつけましょう!
しかし、観光業に携わって30年程になりますがGWをのんびり過ごす事なんて想像すら出来ませんでした。普段出来ない修繕や片付け、再開されてからのいろいろな事などやっていこうかと。
”桜の花見”も自粛でしたが、一人でぶらっと様子観に散歩してきました。これ、今後のGUIDEにも必要なので下見にもなるかな。”戸隠古道”というと”善光寺”から”戸隠神社奥社”までの数ルートがメインになりますが、戸隠に行く古い街道は多方面から繋がっています。
昔、中山道の追分(現、長野県北佐久郡軽井沢町)から善光寺を経て直江津で北陸道に合流する道を”北国街道(ほっこくかいどう)”と呼ばれ、”北国脇往還(ほっこくわきおうかん)”や”善光寺街道(ぜんこうじかいどう)”などとも呼ばれていた。その”北国街道”に慶長16年(1611)、善光寺宿、丹波島宿、屋代宿が開かれるとともに”犀川の渡し”が置かれた。そこから地蔵峠を越えて戸隠や鬼無里に行く事が出来た。この道も”戸隠古道”と呼ばれていたらしい。その途中の小田切地区の塩生集落南方に一際大きな”エドヒガン(アズマヒガン)”がある。戸隠神社奥社に通じる途中のある事から”塩生(しょうぶ)のエドヒガン”又の名を”巡礼桜”と呼ばれているそうです。
高さ3メートル余りの枯株から4本の幹が株立ちしており、樹高18.2メートル、目通り周囲7.3メートルあります。枯株の大きさから、昔はは目通り周囲約9メートルの巨樹で、朽ちたのちに根際から生えた新しい芽が現在の姿になったと思われる。現在の樹の推定樹齢は700年と言われているが、枯株の分を含めると約1500年になるのではないかと想像されている。もしものそ樹齢だと前回紹介した”素桜神社の神代桜”の推定樹齢1,200年のよりも300年も長く生きているという事になる。歴史ミステリーですね。1967年(昭和42年)に長野市指定の天然記念物になり、2014年(平成26年)には”ながの百景”の一つとして選定されました。


桜の横に道標があり、「是より小野平峠を経て戸隠五里六丁」と書いてある。

という事は約20.6km程という事になります。昔のままの道は無いと思いますが今度歩いてみたいと思います。いずれGUIDEもしてみたいとも。その時は一緒に歩きましょう!

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hatakichiです。
新型コロナウィルスの影響でお店を開ける日数や時間を少なくしてTAKE OUTを中心に営業しいますが長野県や長野市が飲食店等に保証を行って頂ける方針を固めた様なので、それに従おうかと思っています。決まりましたらお知らせ致します。
今日は、家族全員毎日家にいて不要不急の外出を控える様に言われている事から少々ストレスが溜まり気味なので、健康維持の為の散歩の様なもの、またガイド下調べも兼ねて近所の”桜”を観に行ってきました。
”善光寺”から”大峰山”を登って”飯縄神社里宮”である”皇足穂命神社(すめたるほのみことじんじゃ)”を経由して”戸隠神社奥社”までの”戸隠古道”。今回訪れた桜は、その”飯縄神社里宮”である”皇足穂命神社(すめたるほのみことじんじゃ)”から少し”戸隠古道”より外れた場所にあります”素桜(すざくら)神社の神代桜(じんだいざくら)”です。
”素桜神社”は凄く小さなです。諸説ある様ですが、境内にある説明看板によると
『”天照大神(あまてらすおおみかみ)”の弟である”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”が信濃の地を旅している際に、この地を訪れました。長旅の為に非常に疲れていて喉が渇いていたので、一生懸命畑仕事をしていた地元の民に”飲み水を分けて貰えないか?”と尋ねると、近くの泉に案内されました。その泉の水が非常に美味しかったので、この泉で地元の民がいつも畑仕事の休憩場所になればと日陰を作れる様にと手に持っていた桜の杖をさして、それが成長して桜の大木になり春には花を付け人々をしませ、夏には日陰を作り畑仕事の疲れを癒し喜ばれました。』
またhatakichiが調べた所によると
『昔、日本は60余りの国に分かれていて、神様が一国一国に桜の苗を1本ずつ与えて大事に育てる様に命令しました。しかし、段々とその桜が枯れ始め最後に残った1本がこの桜でした。”天照大神(あまてらすおおみかみ)”の命令で全国の桜の状態を見回っていた”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”が最後に残ったこの桜を観て、水の無い土地で良くぞ桜を大事に育ててくれたと感心して、諏訪の湖の水をここに泉として沸かせて地元の民に感謝を表しました。水の泉が出来た事で生活が豊かになりました。神様から頂いた一番初めの桜という事から”素桜(もとはな)の神代桜”として大事にしています。』
との事です。この二つの話では”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”は姉である”天照大神(あまてらすおおみかみ)”の命令をよく聞いて民の為に良い事をした神様ですね。戸隠神社の神話である”天岩戸伝説”では”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”の素行が悪い事から”天照大神(あまてらすおおみかみ)”が岩戸に隠れてしまい暗黒の世界で尚悪事を行ったと余り良い神様とは思えない話が。また、”八岐大蛇(やまたのおろち)”を退治した良い神様。”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”はいろいろな顔を持つ神様だったんですね。

この”神代桜”は”エゾヒガン(アズマヒガン)”の巨木です。1935年(昭和10年)12月14日に日本の天然記念物に指定されました。根回り約9メートル、目通り周囲11.3メートル、推定樹齢は約1200年です。


丁度、満開で見ごたえがありました。誘導看板等はあるのですが、駐車場などを無いので通り過ぎてしまいそうな場所です。”戸隠古道”を歩いた際には少し足を伸ばして訪れたい場所です。時期的には今頃歩くのが最高です。今日はあまり人と接触したく無かったので”御朱印”は頂かなかったのですが、この”素桜神社”でも頂けるけるのかな?また今度行った際に聞いてみたいと思います。

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