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信州・戸隠高原の大自然の中で暮らすHatakichi一家。カナダ製ログハウスでイタリアンレストランを経営し、山での生活を楽しんでいる日々の生活をお伝えします。
Posted on 16:49:25
☆ちょっとお勉強に!☆

 みなさん、こんばんは!
 お昼の方は、こんにちは!
 今起きた方は、おはようございます!
 hatakichiです。

 現在、新潟県妙高市にある関山神社では善光寺御開帳を記念して令和4年5月21日(土)〜6月12日(日)までの期間に関山神社 秘仏御開帳”を行っています。

 何々、善光寺の絶対秘仏の”一光三尊阿弥陀如来像”と同じ形式の妙高堂阿弥陀三尊像”が見れるのであれば、これは勉強に行かねばと行って来ました。
 
 確かもう10年以上前に”四国八十八か所霊場”の僧侶の皆様から

 「戸隠山(1,904m)と妙高山(2,454m)の二つの修験の山をご案内頂きたい!」

 とお願いされて案内した事がありました。その際に妙高山山頂に祠が有り修験の山の名残があった事を思い出します。そんな程度しか知らなかったのですが、今回この機に少々お掘り下げてみようかと思います。

 先程、案内した際に山頂に祠があったと書きましたが、実際には江戸時代までその場所には”阿弥陀堂”があったそうです。

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 上記の絵地図は関山神社境内にあった看板から映し取ったものですが、”元禄七年栽許絵図”と言うそうです。その地図に登山道と山頂に”阿弥陀堂”がある事が記されています。その”阿弥陀堂”内に妙高堂阿弥陀三尊像”が祀られていたそうです。ですので、妙高山信仰は”阿弥陀信仰”でその源は善光寺信仰”にある事となります。こんな事を頭に入れて行ってみましょう! 

 カーナビ頼りに小鳥の森から1時間程で到着出来ます。国道より少し入りますが、解りずらい所では有りませんでした。平日なのですが、結構人が居てびっくりですが、駐車場も十分有りますので問題ありません。

 当たり前の事ですが、正面鳥居から入りましょう!

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 入って行くと”茅の輪”が有りました。戸隠神社で体験はしているのですが、これも良く解らずにやっていたので・・・、聞いて見る事にしましたが、この話はまた別の機会に書きたいと思いますので今回はご勘弁を。

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 そして階段を登ると”本堂”。立派な彫刻がされていて”戸隠神社宝光社”に似ていますね。
 現在は関山神社という神社ですが、戸隠と同じ様に神仏習合をいち早く取り入れていたので元は”関山宝蔵院(せきやまほうぞういん)”という寺院でした。和銅元年(708年)に”裸形上人(らぎょうしょうにん)”によって開山されました。”裸形上人”という名前と関係しているかは解りませんが、常に裸で修行を行っていたという話も有ります。
 その後”戸隠山顕光寺”と同様に山岳信仰の霊山として栄えましたが、明治の神仏分離廃仏毀釈により廃寺となり、関山神社となりました。

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 今回拝観料を¥500で秘仏にお会い出来ました。下の写真も境内に建ててあった看板より映し取ったものです。これが妙高堂阿弥陀三尊像”です。中央が”銅像阿弥陀如来立像”で高さ47.2cm、鎌倉時代後期に作られました。右側が”観音菩薩像”、左側が”勢至菩薩像”で共に高さ41cm、室町時代以降に作られたそうです。治承5年(1181年)に妙高山山頂の”阿弥陀堂””木曾義仲”が必勝祈願の為に奉納したと言われています。ほー、戸隠、妙高と”木曾義仲伝説”が有りますね!
 また、戦国時代は”上杉謙信”も山頂へ行き必勝祈願したとされているそうです。

 妙高堂は明治の神仏分離令の折に、山頂から現在の場所に移されました。それと一緒に明治2年(1869年)に”妙高堂阿弥陀三尊像”も移されました。”銅像阿弥陀如来立像”は昭和53年(1978年)に新潟県重要文化財、”観音菩薩像”と”勢至菩薩像”は昭和50年(1975年)に妙高市指定文化財にそれぞれ指定されています。
 ”妙高堂”がここに移されてからは一年に一回山開きの日には三尊を背負って妙高山山頂までお連れしていたそうです。妙高堂の事を通称”関山善光寺と呼ぶのもそれだけ善光寺如来”様と近しい関係にあった表れでしょうね。

 今回の展示物の中にその時に使っていた背負箱を見てビックリ!箱には一体ずつ収納する場所が記載されていましたが、中央に阿弥陀如来像、に勢至菩薩像、に観音菩薩像と書いてありました。おや?配置が”善光寺”の”一光三尊阿弥陀如来像”とは違うぞ・・・。今回、本堂内は必要であればボランティアの方がご案内してくれます。折角なので僕もお願いしていました。この事を聞こうか?聞かないか?悩みました。自分が如何にも少し知っているなんて事を自慢している様に受け取られたら嫌だなぁと思ったので・・・。でも、やはり納得がいかなかったので質問してみました。

 「何故?あの箱に書かれている場所が左右逆なんですか?」

 すると、ボランティアの方は

 「そうなんですよ。最近までこの書いてある通りに並べていました。右に”勢至菩薩像”、左に”観音菩薩像”と。歴史館や妙高市のパフレットにもそんな感じで掲載していましたが、違う事に気付きました。今は直してありますけどね。」

 ほほー、何でそんな事に?と考えました。すると以前戸隠神社奥社の参道に有る”随神門”の左右に安置してある像は、他の神社では左大臣とか矢大臣といわれていますが、”櫛石窓神”、”豊石窓神”となっています。神道では古来より”左方上位”という立場をとっています。”左方”というのは、あくまで神座から見てですから、神社の本殿に向っては、右側となります。この辺、ややこしいですね。ですので箱に入れて背負ってそれを正面から見ると左右が逆になるという事になると考えます。多分、その辺の見方の違いが誤解を招いてしまったんでしょうね。ボランティアの方とそんな話をしていると、近所で聞いていた妙高市の職員の方?または学芸員の方?か解りませんが、近付いて来て、

 「よくご存知ですね!そういう事で間違えていたんだと思われますよ。」

 と、教えてくれました。これは大収穫でした。しかし、最近までこれを担いで山頂まで行っていたとは熱い信仰心が伺えますね。

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 そして、その横にはなかなか奇妙な”石仏”が有ります。”関山石仏群”というそうです。この周辺に35躯有るそうで、その中の26躯をこの場所に集めたそうです。どれも灰岩から丸彫されたもので、全てでは無いが多くは弥勒菩薩を表現したモノではないかと言われています。その為か地元の方は”ミロクさん”と呼んでいるらしいです。
 ここに有るものは大体60cm程の高さで、上半身のみの形で地中に埋め込まれた様に見える事から”いけ込み式”とか”植え込み式”などと呼ばれています。時代的には定かでは有りませんが平安時代末期から鎌倉時代に造られたと考えられています。ネットなどで調べた写真ではお地蔵さんの様に赤い前掛けをしている姿のモノが大多数見られますが、今回訪れた際には何も付けられていませんでした。何か訳があるのか、聞いてくればよかったと悔やまれます。この石仏で妙高山信仰の貴重な証拠品であるので昭和55年(1980年)に新潟県重要文化財に指定されました。多分、造られた時はもっとはっきりと陰影が出ていたのであろうが、長年の雨、風、雪により今ははっきりしていない事も歴史を感じる理由でしょう。

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 ちょっと長文になってきましたので、今回はこの辺りで。続きが後日書きたいと思いますのでお楽しみに!!

 




 
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